こじらせちゃった人のブログ

厨二病のその先へ。年々こじらせ具合を増していく薩摩男児のブログです。

スマホの幻肢痛

突然ですが、

 

プッシュ音の幻聴

が聞こえたことはありませんか?

 

ブーブーとバイブ音が聞こえてiPhoneを手に取ると、

あれ?何の通知も来てない?

え、なに今の幻聴。。。?

 

この症状、スマホ依存症の僕だけかと思って今まで隠してきたんですけど、

僕だけではないことが最近わかって、

安心するのとともに、

 

スマホを手放せなくなるとはどういうことか”

という問いについて一考してみたいと思います。

 

スマホの身体化

iPhoneが壊れてしまって大変だった」

そんな話題は世間話レベルで聞かれる珍しくもない話ですが、

僕の友人はそこで「スマホって身体化してないかしら?」と考えたそうです。

 

スマホが身体?ただの依存症でしょ?

そういうふうに思われるかもしてないですが、

”人間がどのように進化してきたのか”を考えると、

ちょっと違った捉え方ができるかもしれません。

 

 

人間の最初のテクノロジーは”言語”や”火”の使用だと言われていますが、

最も想像に易い道具と言えば、旧石器時代”石器”でしょう。

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出典:https://janiasu.com/terms/subjects/04/02-1/cat78/post-185.php 

 

これが僕たちの道具の原点です。

日頃使っている包丁も鉛筆もカバンも、

今手に持っているスマホでさえも、

もとを辿ればこれです。石器です。

 

今まではかぶりついたり手で千切ったりしていた肉片を綺麗に切り分けたり、

硬くてなかなか割れなかった木の実を破ったり、

棒の先につけて動物を突き殺したり、

”石器”の発明でいろいろなことができるようになりました。

 

初めて”石器”を手にした若者たちを想像してみると、

「ヤバいこれイカししてるわ」

「お前のその石器、カタチやばくね?」

「ふん、その程度の石器で粋がるな」

...。

時代の最先端だったことは間違いありません。

それって、現代におけるスマートフォンと一緒じゃないでしょうか?

 

『道具は身体の延長である』という考え方が、最初に誰が言ったかもわからないくらい古くからあります。人間は道具をあたかも身体のようにして扱うことで進化してきたのです。

一番わかりやすい例は杖や義手など、身体の障害を補填する道具ですね。杖をまるで自分の手足のように扱っている人というと想像に難くないでしょう。

 

石器をまるで手足のように駆使して狩猟していた狩猟時代のように、

スマホをまるで手足のように駆使して生きるのが現代社会だと言えるんじゃないか?

道具が身体の延長であるのであれば、

スマホが僕たちの身体の延長として、身体化しているのではないだろうか?

そんな解釈も成り立ちます。

 

幻肢痛

事故などで腕や脚を無くした人々は、腕がなくなったあともそこに腕があるかのように感じる”幻肢”を感覚すると言います。

左腕がないのにも関わらず左手の甲に痒みを覚えたり、

右脚がないのにも関わらず右足首が痛み出したり、

失った感覚器官を脳が正常に処理できずに、あたかもそこにまだ四肢があるかのような錯覚を覚えるのだそうです。

 

失くした身体を感覚できないことで痛みを覚えるのならば、

もしスマホが身体化しているのであれば、

スマホという身体を失くしたことによって、幻肢痛が現れるんじゃないか?

 

スマホがないことによる何らかの”痛み”を覚えるのではないか?

それが僕の場合はプッシュ音の幻聴となって心身に現れているのではないか?

 

そう考えると、妙に納得できる節があるなと。

 

通知がないのに通知があると勘違いしてスマホを開いてしまうあの症状は、

手元にスマホがないことによる幻肢痛なんじゃないかと思うのです。

 

これは、単に僕がスマホ中毒者だっていう話ではなくて、、、

 

スマホがこれから僕たち人間の道具として浸透し、身体化が進むに連れて、

その幻肢痛も様々な症状として現れてくるんじゃないか?

 

つまり、

人間が新しい道具を生み出せば生み出すほど、

人間の身体は拡大していくわけで、

それに伴って幻肢痛も痛みを増していく。

これはもう、

「道具(テクノロジー)を利用した進化」と「道具の身体化」という性質を持つ人間という生物のジレンマなんじゃないかと思うわけです。

 

...。

 

...。

 

今日も存分にこじらせることができました。